これまでのこと~福楽園の思い出~

「福岡 福楽園」でググってみると、まったく同名の昔ながらの町中華のお店が福岡市にあるみたいだけれども、そことは違うお店の話です。 今はもう無くなってしまったお店。十年くらい前にお店の大将が亡くなって、お店は閉店した。跡地は改装されて、もう別のお店になっている。福楽園のことを思い出したのは、つい最近久留米の法務局に寄ったときに、最寄りの「沖食堂」 というラーメン屋に寄ってラーメンを食べたときだった。 なんとなく思い出の味に似ていた。似ていたといっても、見た目は少し違った。スープは「沖食堂」は少し白濁していて、「福楽園」 は白濁してなかったし、具も、チャーシュー、 ネギに加えて福楽園はわかめとすりごまが入っていていた。(沖食堂は焼きノリが入っていた)でもスープのニオイや味、 麺の太さがとてもよく似ていた。麺がすこし柔めだったのも。



福楽園は、僕にとっては、母親の帰りが遅いときの 「出前の味」 だった。外がもう真っ暗になって、「あれ、今日はお母さん遅いね」 というとき、大将が出前に来て、祖母が玄関で受け取っていた。だいたいメニューはいつも同じでラーメンと、 からあげ。 出前はいつも大将がバイクで来て、銀色の岡持に入れて持ってきていた。 (祖父母が彼のことを「たいしょう」と呼んでいたので、僕の中で彼は「大将」だ)。岡持から出したラーメンには汁がこぼれないようにラップが輪ゴムで止めてあって、ラップを取ろうとする時にいつも輪ゴムが跳ねて、ラップが勢いよく外れ、スープだかラップについた露だかがぴしゃっと顔や手にはじけ飛んだ。ラップをとると、 「豚骨ラーメン」がむわっと臭う。 毎回、うわっと思うけど、食べ始めたら気にならない。からあげは、楕円の白いお皿に入っていて、キャベツの千切りが添えられていた。キャベツにはたっぷりとマヨネーズがかかっていた。からあげば鶏胸肉で、表面はカラメル色、ふわっとした厚めの衣で、表面はサクっとしていた。 別添で酢醤油がプラ容器に入っていて、それをかけて食べる。これが結構好きだった。これまでいろいろなお店や弁当でおいしい「からあげ」を食べたけれど、これに似ているからあげには出会ったことがない。似たからあげがあれば、ぜひ食べに行きたい。

 

大将はいつも陽気だった。 下校する小学生たちによく話しかけていた。バイクを見て吠える犬に口笛を吹いていた。 お店には祖父と一度だけしか行かなかったと思う。祖母も祖父ももういない。電話のそばに置いてあった福楽園の出前のメニューももう無い。ずっと消せなかった、携帯のアドレス帳の祖母宅の電話番号。ラーメンもからあげも、もっと食べたかった。